1匹とお婆と2つのお星さま

2016年9月 あおは虹の橋を渡りました。

2018年5月 こはくが突然虹の橋を渡りました。

お婆は・・・

こはく

ずいぶんとごぶさたしています。


きっと誰も見ていないと思うのですが・・・自分の気持ちと向き合うために・・・


5月17日 午後17時58分 こはくが虹の橋に転勤になりました。


4月の初め頃に後ろ脚を引きずり出したのがきっかけでした。


捻挫だろうと思っていたのですが、病院に行っても治る気配が見えず、
思い切ってあおちんがお世話になった病院に行きました。


そこでも前立腺が腫れているくらいで、なぜ足を引きずるのか全く分からず、
もしかしたら、前立腺の腫れが痛くて歩けないのかも、と言われ
お腹に気になる影もあるので、去勢の手術をして、CTを取りましょうでした。


手術そのものは大丈夫だったのですが、そのあとからのこはくの体調は全く上がらず
日に日に悪くなるばかりでした。
毎日毎日嘔吐・・本当に辛そうで・・私もその嘔吐は絶食したら良いと思うくらいに
軽く受け止めていました。


もちろん病院で吐き気止めや術後の抗生物質も出ていたので・・・


しかし、5月3日の誕生日を境にこはくの容態は悪化するばかりで、水も受け付けなくなり
13日に入院。毎日片道60Km(高速で1時間半)の病院へお見舞いに行っていましたが
こはくが良くなるような感じは見受けられず。


ファミリーのlineで子供たちに聞きました。


こはくはよくなるみこみがなさそう。
このまま病院で1人で逝ってしまうかもしれない。
辛い判断を出さないといけん。


中)こはくは淋しがりやだから家に連れて帰ってあげて。
大)連れて帰ってあげて
小)お願い


家族全員の意見が一致したので入院から3日目、担当の先生に連れて帰ることを
話、家の近くで治療ができる病院を探してくださり、こはくの状態を電話してくれました。


帰ってきたその日は、自力で歩きお水を飲むことができました。
やっぱり家が良かったね。
こはくのお気に入りのバナナベットに自分から入って寝ていました。


17日の木曜日。朝一番で近くの病院へ。
先生もよく知っているので「あなただったのぉ!!元気にしてたね?」と笑顔でむかえてくれました。


とにかく水分を取らないといけないから、今日の夕方4時に迎えにおいで。
ぎりぎりまで点滴してあげるから。と言ってこはくを預かってくれました。
本当は仕事に出るつもりだったのですが、そのまま家で寝ていました。


ずっと寝ることが怖かったので。


夕方迎えに行くと先生の顔が険しい・・
おしっこを引いたらね、はじめのうちは普通だったんだけど見て・・・
400mlの点滴の袋には真っ赤な血がたくさんでした。まるで献血の血のように。


その時思いました。今日が山なんだと。


こはくおうちに帰ろうね。きょうも頑張ったね。お外は気もちがいいね。
ずっと話しかけていました。


家に帰って、こはくの寝る場所をきれいにして寝かせると、うつろな目で私を探してくれました。


いるよ。ちゃんとここにいるよ。


離れるときはご飯作ってくるねと言って離れるのですが、めったに鳴かないこはくが
悲しげに鳴くんです。


そばにいなきゃ。


がんばったね。もうがんばらなくてもいいよ。大丈夫、ままいるよ。


ずっとずっと話しかけてなでて・・・


小は帰ってきて添い寝して泣いてました。


鳴き声もだんだん大きくなり、軽く後ろ脚が痙攣した後・・・


ごめんね。ごめんね。ありがとう。頑張ったね。あおちん来てくれてる?


ずっと私のせいでこはくが死んでしまったと思っています。
あの時手術をしなかったら、こはくはもっと生きていただろう。


なぜあの時に、手術をやめる勇気がなかったのだろう。


こはくを殺したのはわたし。


こはく・・ごめんね・・本当にごめんね。

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